短刀選集

第18回 義助

 

 

 義助は駿河国、現在の島田市に住した嶋田派を代表する鍛冶です。
初代義助は相州廣正の門人と伝え、領主今川義忠から一字を賜り義助と名乗ったのが始まりで、弟の助宗と共に戦国時代の名将の中心地に住した為、室町末期にかけて大変栄えた一族です。義助は何代続いたか諸説ありますが、初代が康正、二代は明応、三代は天文の頃で四代は天正と推測され現存する年紀のある最も古いものは永正の作と言われいます。義助は槍の名工としてもその名を知られ、下総国の大名結城晴朝が義助に作らせた天下三槍の一つ御手杵は義助の作として名物になっています。なお昭和20年の東京大空襲で残念ながら消失しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

本作、義助の脇指について

 

本作はやや幅広で寸が延びた少し先反りのついた姿に、刃文は匂いがちに小沸ついて砂流しかかり、湾れに互の目の構成に箱乱れや矢筈風の刃を交え、表の帽子は乱れ込んで尖り気味に返り、裏は小丸に長めに返る。
地は板目詰んで細かく地沸つき所々流れる。銘に依る代別は難しく永正から天文の頃の作であろうかと思われる。
地刃、彫からみても小田原相州の鍛冶の影響と交流が深く感じられ、備前や美濃伝を合わせたような作域を見せる。短刀の中心は本作のような村正のタナゴ腹風のものと末備前のような刀身の割に長いものがある。
 

 
  
  

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