短刀選集

 

第16回 赤松政則

 

 

 赤松政則は嘉吉の乱で滅ぼされた赤松満祐の弟・義雅の子時勝の嫡男で、南朝からの神璽奪回の功により家督継承が許され加賀半国守護職を与えられた。応仁の乱では細川勝元につき播磨・備前・美作三国の守護職に返り咲き、山名氏と戦闘を繰返し長享2年(1488)ようやく播磨より山名氏を駆逐した。赤松氏としては異例の従三位に叙せられたが、明応5年播磨坂田の九斗寺にて病没。 (1455年-1496年) 
備前長船より勝光、宗光らを呼び寄せて鍛刀させる傍ら、宗光に師事して大名である自らも鍛刀し十数口の作品を残しています。政則の遺作は播磨国書写坂本、美作国大原、京都の3ヶ所で作られ、明応三年の一口を除いてすべて家臣に与えるために作られた為打ちです。
 
 
 

 

本作、政則の短刀について

 

姿は内反り、庵棟、重ね厚くフクラが枯れた,いわゆる鎧通しの姿である。
地、刃とも沸が強く湾れに互の目を交えた作風で、同時期の末備前の諸工とは作風を異にする。兵部少輔とは官位、従五位下で長享から延徳にかけての大部分の作にある。明応三年作には従四位左京大夫、明応五年に従三位に叙位されたが亡くなるまでは三か月間の為、作品はありません。
最近研がせて頂いた短刀で今後同作を研がせて頂く可能性は、ほぼないと思われますので貴重な経験になりました。以前まで十四口の作品が確認されていましたが、本作が十五作目で現存する作は十口程度と言われています。長船とあるので千松丸は宗光の近親者であろうか?研磨後に直近の第63回重要刀剣に指定されました。
 
 
 

 
  
 

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