短刀選集

第15回 綱廣

 

 

 初代綱廣の出自は諸説あり、義助の子や綱家の弟など島田鍛冶出身の可能性や広次の養子説もあります。
天文七年に綱広は康国、綱家と北条氏綱の里見追討大願成就の太刀をつくり鶴岡八幡宮に寄進されており島田派と密接な関係があるのは間違いないと思われます。
初銘を正廣と伝えられていたが、山村家(綱廣 本姓)の古文書によると北条氏綱から一字を賜って廣正から綱廣に改名したと記されており、初代綱廣の初銘は廣正であると現在は考えられている。
綱廣は鎌倉より小田原に出て北条氏に仕え小田原鍛冶の基礎となっています。この一門は相州伝の技法を保ちながら二十数代続き、明治期まで鍛刀を続けています。初代の年代も諸説ありますが天文の頃とされており二代は永禄、三代は文禄の頃と考えられています。
 
 
 
 
 
 

 
 

本作、綱廣の脇指について

 

 
本作は初代の綱廣で、寸が延びて重ねが薄く先反りのついた姿に相州伝特有の三鈷杵の中央が六角形の草の倶利伽羅と南無妙法蓮華経の神号を区上に彫る。地鉄は板目に地沸が厚くついて肌にからんだ地景が現れる。
刃は湾れ調にやや等間隔の互の目に交えて飛び焼きが入る典型的な末相州の華やかな皆焼の出来口で廣光を踏襲したような丸い飛び焼も見える。
中心は天文が見えなくなっているが、十五年丙午八月とあるので天文で間違いなく裏年期も貴重である。
 
 
 
 

 

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